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このブログは、能登半島地震とその後の豪雨災害で被災したみなさんを応援しています。
今回は、能登半島地震を経験したことで、2度目の新居を建てようと決めた経緯についてお話ししたいと思います。
忘れられないあの日の恐怖
今日は2025年6月1日です。
「令和6年能登半島地震」の発生から、ちょうど1年5ヶ月になります。
この大地震には、前触れがありました。
令和6年に年が明けたその日、1月1日午後4時6分
“ギュッギュッ、ギュッギュッ” とスマホから、突然の警報音
間髪入れず、ユサユサッとやや強い横揺れが!
しばらくして、揺れは収まり
「あぁビックリしたあ。大きかったなぁ。NHKつけるか。」
と地震の大きさを確かめようとテレビをつけました。
この最初の地震は、能登で震度5強、わが家の地域で震度3程度(もっと強かったと思うけど)。
「あっ母ちゃんたち、大丈夫やったかな?」
そして、これは、年末から帰省していた孫たち2人が妻(母ちゃん)と、外に散歩に出て数分後のことだったのです。
心配になった私は、外へ出て近くを見回すと、前の小川に架かる橋を渡り終えた3人の姿がチラリと見えました。
橋の先には、妻の実家があり、妻たちはそこに向かっていたのでした。
そして、その瞬間はやってきた…
孫たちの無事を確認して再び家に戻って、ホッとしながらテレビの地震速報を見ていた午後4時10分すぎ
再び、“ギュッギュッ、ギュッギュッ” とスマホから警報音
テレビから“ピロンピロン、ピロンピロン、緊急地震速報です”
ドーン!ガタガタガタガタガタガタガタッ!ガタンガタンガタン!
さっきとは比べものにならない揺れが襲ってきました。
本棚から本がバタバタと落ちてきて、観ていた液晶テレビが倒れ、テーブルが床を滑り動いていました。
「これはヤバいっ!(家が)潰れるっ!」
あわてて、家の外へ駆け出しました。
どれくらい揺れていたのか、よく覚えていませんが、かなり長く感じました。
「あっ、母ちゃんたち」
揺れが収まってきたので、スマホ片手に妻の実家へ走りました。
実家の前では、妻と孫がカーポートの柱にしがみついて、妻の両親、同じく帰省していた妻の妹夫婦、その子どもたち全員が、外で寒さと恐怖に震えていました。
子どもたちの命が一番大事 一時避難へ
恐怖と興奮のドキドキが収まらないまま、
「これからどうすれば…」
余震もあり、なかなか家の中に戻ることもできず、そうこうするうちに日が傾いて夕暮れに近づいてきました。
予定では、その週末に孫たちを母親の娘のいる埼玉に送るはずでした。
しかし、「余震が怖いな、家の状態もわからないし、どうせ眠れないな」と思い、妻と相談。
すぐに出発して、今晩のうちに車で埼玉へ送ることにしたのです。
出発したものの、高速道路は通行止め、ガソリンスタンドは長蛇の列、国道は大渋滞。
その日に埼玉はムリと判断して、もう一人の娘に連絡を取り、いったん娘の嫁ぎ先の岐阜に向かうことに。
埼玉には1月2日の夕方にようやくたどり着きました。
しかし、ゆっくりしているわけにも行かず、かわいい孫たちと別れるのも寂しいとは思いましたが、
そのままにしてきた家の様子と、断水している妻の実家が心配だったので、翌日3日には家に戻りました。
わが家の被害状況
家に戻ってから、片付けしながら壊れた場所がどれくらいあるか、見て回りました。
この家を建てていただいた地元メーカーに改めて感謝しました。築30年のわが家はとても丈夫でした。

2階の部屋の収納扉の桟が落ちて、外れています。


クロスがずれています。上下、左右の壁材がずれて動いたと考えられます。

外壁にクラック(ひび)が入っています。
いずれも今回の地震によってできたものです。
幸いにも、完全に壊れた場所はゼロ。
でも、この後、もう一度同じような揺れが来たら…と考えると不安がよぎります。
修繕 or リフォーム or リノベーション or 建て替え or 新築?
「このままにするわけにはいかないなぁ」
選択肢として、4つ考えました。
1つめ 専門家に依頼して、どれくらい壊れているかを診断の後、壊れた部分だけを修繕する。
2つめ 専門家に依頼して、どれくらい壊れているかを診断の後、間取りは変えずにリフォームする。
3つめ 建物の基礎は残しつつ、間取りから考え直し、大幅にリノベーションする。
4つめ 建物の基礎から壊して、完全に建て直す。
まず、1つめの「修繕」 → 新しい部分と古い部分が混ざるのはコスパが悪いと考え、早々に却下。
次に、2つめの「リフォーム」と3つめの「リノベーション」
→ 当初は、この2つで考えに考え、迷いに迷いました。
いずれもコスパが良いので迷ったのですが、問題は「壁」でした。
耐震性能と「壁」の関係
いま住んでいる家を建てるとき、当時の担当建築士の方がおっしゃられていたのが「壁」の重要性でした。
私が希望の間取りや建具などを相談すると、口癖のように「壁が必要なので」と。。。
当時は、希望がなかなか通らないのでモヤモヤしたものですが、
今回の地震でこの家が潰れなくてすんだのは、その「壁」のおかげだと痛感しています。
ということで、
「リフォーム」or「リノベーション」= 間取りを変える or 変えない =「壁」をどうするか?
耐震性は、30年前と同様に、今も「壁」に依存するのか。
答えは、NOでした。「壁」どころか、天井板も抜いた「あらわし」や、「スキップフロア」、「ヌック」、「1.5階建て」、「準平屋」など、30年前には、ほぼ耳にすることのなかったワードがあふれています。
だから、ほぼ「リノベーション」に、気持ちは固まりつつあったわけです。
「新築」を決断 = 一番大事なことを忘れていた私
しかし、結論は、いま住んでいる家はそのまま残し、別の場所での「新築」=「2度目の新居」でした。
私たちは、一番大事なことを忘れていたんです。
妻の両親は今は元気ですが、すでに80歳を過ぎていて、何かと心配な年齢です。
「そうだ!大ジジと大ババの近くに建てよう!」
フッと突然、頭に浮かんだ考えでした。
妻の実家の隣りは畑で、妻の母はそこで毎日、畑仕事を楽しんでいます。
今回の地震でも、妻の実家に駆けつけるのに時間がかかったのは事実です。
だから、その畑の一部を宅地に変えて、隣りに新居を建ててしまおうと考えたのです。
そして、妻や妻の両親にその考えを伝えたところ、喜んでもらうことができました。
地震からちょうど1年がたっていました。

