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高校在職中の3年前あたりから、ときどき、私は同僚にこうつぶやくことがありました。
「オレたちには有休があるのに、生徒にはなぜないんだろう?おかしいと思わないか?」
すると同僚は
「夏休みや冬休みがあるからじゃないかなぁ」
しかし、私は心の中でいつも、こうつぶやいていました。
「でも、それって、生徒が決めた休みじゃないよな…」
「オレたちみたいに休めたら、不登校はもっと少なくなるんじゃないのか…」と。
働く大人には、年に20日の有給休暇が認められています。
理由は問われず、心と体をリフレッシュするための「当然の権利」として制度化されています。
ところが、子どもが学校を30日休むと「不登校」として扱われ、周囲から心配されたり、進路に不利になったりする現実があります。
この違い、どこか理不尽に感じませんか?
この記事では、「子どもは学校を休んではいけないのか?」という問いをもとに、教育の本質と社会の価値観を考えてみたいと思います。
考えて 子どもの「学校を休む」権利
大人には休む権利がある
社会人になると、労働基準法によって年次有給休暇が与えられます。6か月継続勤務し、一定の勤務日数を超えれば、最低10日、多くの企業では年20日程度が付与されます。
取得理由は不要で、心身の健康維持や家族の事情など、自由に使える時間として認められています。
むしろ、現在では「有休をちゃんと取ろう」という啓発すらされていて、教員の働きすぎ「働き方改革」が社会問題になっているほどです。
子どもは30日休むと「不登校」扱いに
一方、子どもが学校を30日以上欠席すると、「不登校」という扱いになります。
文部科学省の定義では、「病気や経済的理由以外で、年間30日以上欠席した児童生徒」が不登校とされます。
これは、特別な事情がなくても「学校に行きたくない」と思って休んでいた子どもが、31日目から“問題行動”としてカウントされることを意味します。
たった1か月、週にすれば6週間程度の欠席が、「不登校」というレッテルになる。
これは大人の「有休」と比べると、あまりにアンバランスではないでしょうか。
「なぜ行かせたいのか」を考える
子どもが学校を休むことに、大人は不安を感じます。
「このまま引きこもってしまうのでは?」
「進学や就職に不利になるのでは?」
そうした不安は当然ですし、学校生活には学力・人間関係・社会性といった多くの価値があります。
けれども、そもそも学校は“子どもが行くべきところ”である前に、“子どもが学ぶ場所”であるべきです。子どもが「苦しい」と感じているとき、その状態のまま登校を続けることが、本当に「教育」なのでしょうか。
休むこと=逃げること?
「学校から逃げて休んでばかりいると、社会に出た後が大変だ」と言われた時代があります。
でも、大人でも休職や転職で心と体を守る人はいます。
なぜ子どもだけ、「休まないことが将来のため」と言われるのでしょうか?
子どもが学校を休むとき、それは「問題」ではなく「調整」かもしれません。
自分と向き合う時間、体調やメンタルを回復させる時間。
そして、自分のペースを取り戻すための「大事な休み」かもしれないのです。
「不登校」は未来を奪う言葉ではない
不登校と記録されることに、保護者も本人も強い不安を感じることがあります。
でも、実際には不登校を経験した後、自分に合った学び方を見つけて進学・就職していく子どもたちはたくさんいます。
大切なのは、「学校に行くこと」ではなく、「学び続けること」。
それは学校の中だけでなく、家庭でも、地域でも、オンラインでも可能です。
「休むことは大切なこと」と認める社会へ
「学校は行って当たり前」という価値観が、子どもたちを追い詰めています。
大人には休む権利があるのに、子どもにはそれがない。
これは本来、変えるべき社会の仕組みなのではないでしょうか。
学校は、学びを提供する場所であり、人生を型にはめる場所ではありません。
つらいとき、子どもたちが安心して「今日は学校、休むね」と言える。
そして、そんなときに家族も先生も「いいよ、リフレッシュだね」と受け止める。
子どもにとって、「休むことは、心身のリフレッシュに必要な、とても大切なこと」。
そんな社会になってほしいと思います。
私が言いたいのは…
私は、子どもはいつでも、いくらでも休んでいい と言っているのではありません。
「休んでも、その子を責めないでほしい」
「せめて私たち大人並みに、休む権利を与えてほしい」
「休んで学習が遅れても、サポートできる体制を社会と一体となってつくってほしい」
子どもが学校を休むとき、それは必ずしも「問題」ではなく、ひとつの「選択肢」であるはずです。
大人が休む自由を大切にするなら、子どもにもその自由があっていい。
「休んではいけない」ではなく、「必要なときに休んでいい」と伝えられる大人でいたい。
不登校という言葉に怯えるのではなく、子ども一人ひとりの声に耳を傾けること。
そこから始まる教育が、もっとしなやかで、もっと温かいものであってほしいと
心から願っています。
今回は、この辺で。。。

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